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児島商工会議所のホームページ

児島商工会議所のホームページにとても良い児島の歴史が紹介されています。古代の吉備の児島のグラフィックがとても綺麗で実感的です。是非みなさん覗いてみてください。もうご存じの方も多いとは思いますがーーーー
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貝殻山

大和岩雄氏の著作を読んでいると、楯築遺跡から東日の出る方角が、吉備の中山で、さらに先は貝殻山であるという。こだい史の
中で、吉備の重要性が注目されて来ているが、その中でも吉備の児島の重要性が注目されて来ている。
貝殻山は児島の東端、
遥か日の出る方角が畿内である。汐待をした瀬戸内を航海した舟、また西に向かって、吉備の児島に向かう目印は貝殻山である。古代国家成立の時代、貝殻山はことさらに重要な山であったに違いない。
その当時から貝殻山と言っていたわけではないと思うがーーーー。

古代日本の命運を左右した吉備の児島

平清盛が大河ドラマで放映中である。あまり視聴率が上がらないようだが・・・
・・・ところで平家が栄えたのは瀬戸内海の水運を抑えたこと、
かの栄西禅師も修行のため宋の国にわたるため、宋との貿易の拠点だった博多(今の博多ではなく湾の西側今津)に拠点を定め、ここに拠点を定め宋に渡るために資金を蓄え準備したと言う。その当時平家がここを支配していた。

吉備の児島は瀬戸内海の最も中心に位置し、潮の流れを見ると、東西の潮の流れが児島の近辺でぶつかる。この潮の流れに乗れば瀬戸内海を航海する船は大きな力を使わなくても航海することができる。だから古代以来、児島は潮待ちの船の逗留地点となり、それでもって東西交通の要所となった。
源平の合戦で、児島に拠点を置いた平家と藤戸の戦いで対峙した源氏との戦いは、実は瀬戸内海の制海権をめぐる戦いであったのである。

古事記日本書紀に見る神話の物語の中で、ことさらに吉備の児島が注目されているのは、児島の持つ地政学的な意味が大きかったのである。
古代国家成立過程の中で、[吉備]が重要な役割を果たしたのは[吉備の児島]を持っていたことが大きい。
かっての吉備の繁栄は、吉備の児島の存在と極めて大きく係わっている。蘇我氏がいち早く[児島屯倉]を児島に設置したのもその辺りの意味があるであろう。

日本の古代史研究の中で、[吉備]はあまり注目されていない。
今、平家の物語が余り視聴率が上がらないのは、平家の歴史が、通常の歴史教育の中で忘れ去られているからである。勝った源氏の歴史は華やかに残る。蘇我氏を滅ぼした藤原氏の歴史も残った。敗残者の歴史は捨て去られ、忘れ去られるものなのか・・・。

かって吉備の児島を拠点に瀬戸内海全域を支配したのが吉備であった。西は豊国から周防、伊予、讃岐、東は播磨今の加古川あたりまでが勝手の[吉備]の支配地域、あるいは影響圏だったと言われる。
この巨大国家はどうなったのか・・・
このあたりは「吉備楽土」のほうに少しずつ記述しているので、ぜひみてほしいが・・。

ヒント:吉備=物部、と言う説がある。とすれば、吉備は大和の王朝成立に密接に係わりながら、その勢力が大和の王権の中で支配権を奪われていった過程の中でその名前と歴史が消し去れてきたのである。

さて、古代史のヴェールを外してみれば、吉備が如何に栄え、その中で吉備の児島が以下に重要な位置を占めていたかが見えてくる。
[吉備の児島]をテーマに誰かドラマを書かないか!

児島と八幡宮と源氏

児島には八幡さまが多い。八幡宮を名乗って無くても、ご祭神に八幡様と同じ応神天皇や神功皇后を祀っているところが多い。以前ここで「児島の八幡社」シリーズを載せていたが、ストップしてますが・・・

鴻八幡の宮司さんにお聞きしたら「源氏が強かったからでは」とおっしゃっていた。
八幡様は武家の神様である。源氏の棟梁は「八幡大菩薩」を祀って闘った。~徳川も・・「江」にもそんな場面が出てきましたね。

ご存知の方も多いと思うが、八幡社は、「秦氏」の神様で、九州、今は大分の宇佐八幡が総鎮守。宇佐から勧請されたのが京都の岩清水八幡、更にそこから鎌倉に鶴岡八幡が勧請された。

最近読んだ本に「没落した秦氏が武士団になった」とあった。
源氏ー清和源氏は八幡宮と密接な関係がある。
このあたりに我々が、学校で学んだ歴史を超えて、本当の歴史があるのでは・・・

先にあげた蘇我氏の先祖は応神天皇の母、神功皇后に仕えた武内宿禰だそうである。
蘇我氏の一族であったのが聖徳太子とわれわれは学んできた。聖徳太子が仏教伝来に貢献し、その側近が、京都太秦の広隆寺を建てた「秦川勝」であるとも学んだ。
その聖徳太子の王子、山背大兄を蘇我氏が滅ぼしたとのストーリーでわれわれは学んできたが。少し違和感を覚える。
聖徳太子はいなかった、実は蘇我入鹿のことだった。という説もある。聖徳太子を祀ると言う法隆寺は、実は蘇我氏の怨念を恐れた藤原氏が怨霊封じのために建てたのだと言う話を今回、奈良の元興寺で聞いた。

今我々が常識のように学んできた歴史の背後に、不思議な事実があるのかもしれない。
応神天皇と八幡様と秦氏 そして蘇我氏と秦氏 そして百済系だったとも言われる藤原氏とのかかわり
この辺りに解く鍵があるのかも・・・

熊野神社と児島高徳誕生碑

先日、赤穂の坂越に児島高徳の墓を訪ねて行ったので、誕生の地と言われる、児島の五流尊龍院を訪ねることにした。
まず、熊野神社を訪れる。火災に遭った長床も再建され、昔ながらのたたずまいが迎えてくれた。
長床
熊野神社12社権現
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Author:kibinokojima
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