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鴨神社

荘内の鴨神社に行ってきました。
kamojinnja

由緒を見ると、

延喜初年の創建。延喜式神名帳にのる児島郡内最古の神社。
平安期初頭に大和国葛上郡加茂に御鎮座する高加茂神社の神を勧請し創建されたものといわれる。
鎌倉中期御堀河天皇の貞永2年(1233)、宇佐八幡宮を勧請し合祀した。
以降八幡宮と称したが明治2年、旧号の鴨神社にもどし、郷社に列した。明治40年1月、神饌幣帛料供進神社に指定された。

とある。
祭神は
味鋤高彦根命(アジスキタカヒコネノ ミコト)、仲哀天皇(チュウアイ テンノウ)、神功皇后(ジングウ コウゴウ)、
応神天皇(オウジン テンノウ) 
味鋤高彦根命(アジスキタカヒコネノ ミコト)とは大国主命のことである。この地域はかって加茂郷と言われた。
平安初期、この地域が賀茂氏の荘園だった(備前賀茂氏)ことがうかがわれる。この時代加茂郷とは、荘内地区から宇野、玉、日比を含めた地域を言っていた。
荘内地区を流れる川が鴨川で、現在は倉敷市に所属する白尾もかっては荘内地区の一部だった。
このように由緒のある鴨神社だが、現在は玉日比神社の宮司が兼務していると聞いた。
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神社は情操の根源 寺院は心の道場

児島の社寺を訪問しようと、このコーナーを設けたが、一つ思うこと
神社は情操の根源であり、寺院は心の道場であると

世相はかなり乱れているが、要は人の心が乱れているということ
人間の情操が養われ、心が啓発されればすべてが解決する。
古来日本人は、この列島に住んだ時から、自然を大切にし、神を大切にして、祭壇を築き祭祀を重んじてきた。
全国通津裏裏、集落のあるところには、必ず社があり、良きにつけあしきにつけ神社に参拝し、手を合わせ平安と幸福を祈願してきた。
寺院も同様の役割を果たしてきたが、多少その役割が違っていた。寺院は思うに心の道場であった。
仏教には仏像があり、あるいは曼荼羅があり、そこには宇宙観、人間観があった。そこでは仏の慈悲が説かれ、奉仕の実践がなされて行った。寺院は先祖の祭祀も担当した。先祖を崇めるのは、日本人は特にその心が篤い民族だが、その先祖の祭祀は主に寺院が担当してきた。
様々な新宗教やキリスト教も同様の役割を果たしてきた。
日本人は良く「無宗教」などと言うが、実は結構宗教心に篤い民族である。
その日本人の生活の中にある、宗教性が日本人の心を育て、世界有数の国家を形成してきた。

問題は、その情操を育て、心を育ててきた、神社や仏閣、宗教がないがしろにされ、すたれて来ていることである。
唯物的風潮が世の中を支配し、宗教とは、一種いかがわしさをもったもののように思われ敬遠される風潮が蔓延している。これは問題である!

熊野神社訪問

吉備歴史探訪会で、仲間と一緒に熊野神社を訪れた。12社権現を参拝の後、五流尊流院に属する、3重の塔や
後鳥羽上皇の供養塔、桜井宮の塚、五流尊流院と児島高徳誕生の碑、最後は頼仁親王の稜を訪ねて解散した。
夕刻、熊野神社の宮司さんを訪ねた。貴重な話をうかがうことが出来た。
現在の宮司さんは、長床が消失して、その後こちらに赴任されたとのこと、[最近来たばかりなので]と言われながら、結構詳しい話をうかがうことが出来た。
①焼失した長床から、岩が出て来て、その岩から、方位が計算されて建てられているらしい。
②備前の福岡(現瀬戸内市)は、ここ林の福岡神社から勧請されて行ったらしい。(福岡神社は現在12社権現が祀られている裏山に祀られている)
③神社の地下の土壌は焼き物に適した土が出て、かって、この地が焼き物の産地だったらしい。
と、これまで聞いたことのない事実をお聞きすることが出来た。
熊野神社のある林の地がかっては、[福岡]と呼ばれていたことから、何らかの関連があると思っていたが、さらにこの点を確かめたくなった。

児島と邑久の関係
児島高徳が、邑久の豪族和田氏に婿入りしたと、五流尊流院の縁起にあるが、児島と邑久は密接な関係が古くからあったことを物語っている。このあたりをさらに詳しく知りたい。

それにしても、佐藤宮司さん、いろいろと進取の気持ちをお持ちで、共鳴しました。
児島の歴史を形作ってきた、熊野神社の再興が、未来の児島を作る鍵のようにも思えてきました。

児島の八幡社 新荘八幡

新荘八幡に行ってきました。
赤崎の小高い丘の上にある新荘八幡はとても見晴らしいのいいところにあります。
s-P1010022.jpg
参道を登ると立派な拝殿があります。
塩田王と言われた野崎家など、味野、赤崎などの氏子に支えられた新荘八幡は児島の多くの八幡社の中でも格段に立派な構えを持って、地域の豊かさをもながっています。

新荘八幡拝殿

下は本殿です。

新荘八幡本殿

児島の八幡社 玉比神社

玉の玉比神社
ここ玉野市玉の玉比神社は祭神は玉姫命であるが、相殿として応神天皇 仲哀天皇 神功皇后を祀る。
現在は八幡社を名乗っていないが、近世には八幡社と称していた。

玉比神社
玉比神社
玉比神社由緒
玉比神社由緒
玉比神社玉石(立石)
玉石(立石)
玉石由緒
霊岩由緒
臥龍稲荷奥宮
臥龍山中腹にある臥龍稲荷奥宮 稲荷は磐座信仰から起こったといわれる。確かに巨岩が
玉石と玉野市街
玉石と玉野市街 かっては海だった。ここに市街が広がり、三井造船が出来て街は発達した。

玉野市の名称のもととなった[玉」の街の玉比神社である。
起こりは巨大な霊巖
霊巖の由緒を見ると、この磐から3つに分かれ、一つは邑久に、もう一つは西大寺観音院にそしてもう一つがここ玉比神社の裏山の臥龍山中腹に至ったと。
西大寺観音院の由緒には、瀬戸沖で龍神から頂いた犀の角を戴いて犀戴寺と名乗った、その後西大寺と変わったとある。

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Author:kibinokojima
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