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熊野神社訪問

吉備歴史探訪会で、仲間と一緒に熊野神社を訪れた。12社権現を参拝の後、五流尊流院に属する、3重の塔や
後鳥羽上皇の供養塔、桜井宮の塚、五流尊流院と児島高徳誕生の碑、最後は頼仁親王の稜を訪ねて解散した。
夕刻、熊野神社の宮司さんを訪ねた。貴重な話をうかがうことが出来た。
現在の宮司さんは、長床が消失して、その後こちらに赴任されたとのこと、[最近来たばかりなので]と言われながら、結構詳しい話をうかがうことが出来た。
①焼失した長床から、岩が出て来て、その岩から、方位が計算されて建てられているらしい。
②備前の福岡(現瀬戸内市)は、ここ林の福岡神社から勧請されて行ったらしい。(福岡神社は現在12社権現が祀られている裏山に祀られている)
③神社の地下の土壌は焼き物に適した土が出て、かって、この地が焼き物の産地だったらしい。
と、これまで聞いたことのない事実をお聞きすることが出来た。
熊野神社のある林の地がかっては、[福岡]と呼ばれていたことから、何らかの関連があると思っていたが、さらにこの点を確かめたくなった。

児島と邑久の関係
児島高徳が、邑久の豪族和田氏に婿入りしたと、五流尊流院の縁起にあるが、児島と邑久は密接な関係が古くからあったことを物語っている。このあたりをさらに詳しく知りたい。

それにしても、佐藤宮司さん、いろいろと進取の気持ちをお持ちで、共鳴しました。
児島の歴史を形作ってきた、熊野神社の再興が、未来の児島を作る鍵のようにも思えてきました。
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気さくな児島の風土

昨日行ったところで、[児島の人は仲が良い]と言われた。
街であっても、気さくに声を掛け合って、手を振ってあいさつしたり、そんな風土は他では見なかったという。
とても人情味豊かで、地域の連帯の強いところもあるだろうが、他から来た人にそのように認められるのは、まんざらでもない。
良い風土は残していくべきである。
結構、同級生とか、今でもよくあって話をしたり、付き合いがある。時には悪口も聞いたりするがあとくされがない。
こんな風土を残していきたい。

なんとなく不安を感じる政治情勢

取り戻せ「和の心」と以前書いたが、
昨今の政治情勢
民主党の代表選挙が、世間を騒がせているが、なんとなく不安を感じる。
国のかじ取りが、右へ左へ、揺れ動いて、どこに行くのか?
とんでもない所に連れて行かれるのでは、とも思ったりする。

[川の流れのように]の歌のように、
「地図さえない」、人生はそれで人生だが、国のかじ取りは、未来への明確なビジョンを持って行ってほしい。
世界んl潮流はどこに流れて行っているのか?滅びゆく流れに身を任せて行ってはならない。
川のながれは、いずれ大河となり、大海にそそぐ。紆余曲折あっても、それがむしろ味わいとなり、人生を華やかなものにもしてくれる。

政治指導者も、精神指導者も、明確な未来へのビジョンを提示できるように、研鑽を急がなければならない時でないのか。

合唱団 コロポーニョ 団員募集中

昨日、コロポーニョの練習に顔をのぞかせてきました。
来年4月に初コンサートを予定していて、その時、岡山でも有名な混声合唱団「こーるゆうぶんげん」とコラボで混声合唱の[花によせて」をやるそうです。
私も以前一緒に歌っていたことがあったので、誘われて行きましたが、しばらく練習していないので、音は取れないし、声も出ない、散々でとても迷惑をかけました。それでも久しぶりに歌って、歌う楽しみを味わうことが出来て良かったです。
ところで、コロポーニョでは合唱団員を募集中とのこと、児島では新進ですが、とてもいい合唱団になっていると評判です。一緒に歌ってみたいという方がありましたら、直接団の方か、こちらの筆者にまでご連絡ください。
コロポーニョのブログも見てみてください。

児島の八幡社 新荘八幡

新荘八幡に行ってきました。
赤崎の小高い丘の上にある新荘八幡はとても見晴らしいのいいところにあります。
s-P1010022.jpg
参道を登ると立派な拝殿があります。
塩田王と言われた野崎家など、味野、赤崎などの氏子に支えられた新荘八幡は児島の多くの八幡社の中でも格段に立派な構えを持って、地域の豊かさをもながっています。

新荘八幡拝殿

下は本殿です。

新荘八幡本殿

児島の未来3 児島は一つ

児島は一つ
かって吉備の子島と呼ばれた、児島半島
明治から大正、昭和の初期までは、児島郡として一体的行政の枠の中にあった。
明治11年(1878年)郡区町村編制法施行時の児島郡91村が、合併を繰り返し、昭和15年玉野市、昭和23年児島市の誕生とその後の合併の進行により、最終的に児島郡灘崎町が岡山市と合併することにより、児島郡は消滅し、児島は玉野市と岡山市、倉敷市の一部となり、行政的に見るかぎり[児島]は分断され一体化は完全と言って良いほど失われてしまった。
かっての吉備の穴海を取り戻すことも、[児島]を一つの行政区画として取り戻すことも不可能に近いのかもしれないが、児島の未来を考える時に、夢でも良いから[一つの児島]を実現したい。
かって、そしていまでも由加山系は、児島の精神風土の故郷である。弥生時代の磐座信仰に始まり、今に至るまで児島の地域の人々は由加に参詣した。そして全国から人々が集まってきた。
いまは道路が発達して、児島のほとんどの地から、30分圏内で由加に至ることが出来る。ここに行政、文化、教育の林間都市を作り上げていけばどうだろうか。
心の、そして精神的、文化的な、教育的施設、音楽ホールなど配置して人々の心の安らぎの地として行く。精神的修養の地として行く。
かっては、熊野神社の所領地として精神的風土の高い地であった[児島]を再び復興していければと思う。また海岸に下れば、自然の渚と瀬戸の内海を拠点に海洋レジャーやスポーツの拠点が配置され、[児島]は心身ともに安らぎと喜びを創出する希望の地となる。
そのためにも、全児島が一つになる行政的、あるいは組織的繋がりの絆が求められる。
今や[児島]は、児島湾や児島半島、そして児島地区に残る地名に付けた「児島」と駅名しか残っていない。
未来の[児島]をもう一度創っていく。
吉備の児島の皆様 ご賛同あれ!

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児島の八幡社 玉比神社

玉の玉比神社
ここ玉野市玉の玉比神社は祭神は玉姫命であるが、相殿として応神天皇 仲哀天皇 神功皇后を祀る。
現在は八幡社を名乗っていないが、近世には八幡社と称していた。

玉比神社
玉比神社
玉比神社由緒
玉比神社由緒
玉比神社玉石(立石)
玉石(立石)
玉石由緒
霊岩由緒
臥龍稲荷奥宮
臥龍山中腹にある臥龍稲荷奥宮 稲荷は磐座信仰から起こったといわれる。確かに巨岩が
玉石と玉野市街
玉石と玉野市街 かっては海だった。ここに市街が広がり、三井造船が出来て街は発達した。

玉野市の名称のもととなった[玉」の街の玉比神社である。
起こりは巨大な霊巖
霊巖の由緒を見ると、この磐から3つに分かれ、一つは邑久に、もう一つは西大寺観音院にそしてもう一つがここ玉比神社の裏山の臥龍山中腹に至ったと。
西大寺観音院の由緒には、瀬戸沖で龍神から頂いた犀の角を戴いて犀戴寺と名乗った、その後西大寺と変わったとある。

児島の八幡社 胸上八幡

胸上八幡
胸上八幡
胸上八幡拝殿
東児島の胸上八幡です。
ここも立派な社殿が建っています。
児島全島が熱心に八幡社を尊崇してきたことが判ります。
東大寺の大仏の創建に宇佐八幡が大きくかかわることを通して、以来宇佐宮は皇室の尊崇を受けてきます。
児島は宇佐と都をむすぶ交通路の最も要所に当たる島です。
瀬戸内海航路はかって古代は児島の北側を通り、中世以降、吉備の穴海が埋まっていくに従い、航路は児島の南側を通るようになります。
児島の八幡社もこのような歴史と深くかかわるようです。

児島の八幡社 本荘八幡

本荘八幡
本荘八幡
本荘八幡2
本荘八幡も開基は、大宝元年に宇佐八幡から勧請したとあります。
明治になって神仏分離される前までは般若院と一体でした。
本荘地区の鎮守となっています。

児島の八幡社 清田八幡

曽原の清田八幡
清田八幡本殿
清田八幡本殿
清田八幡拝殿
清田八幡拝殿
清田八幡由緒
由緒
由緒を見ると、清田八幡の創建は、神功皇后の三韓征伐の帰路、立ち寄られたのが始まりで、
かっては児島全島の総鎮守であったと記されています。

清田八幡を訪れ、藤原宮司さんに話をうかがったが、特にここの本殿は、近隣の神社の中でも有数の規模を誇る立派なもので、流石児島の総鎮守と言われた風格を備えている神社だなと思わされた。
もともとは山の向こうの粒江に奉られたものが、清滝山に移され、その後現在地に鎮座されるようになったとのこと。明治の神仏分離までは、五流尊流院によって奉られ、その後も熊野神社との間で御神行が行われてきたとのこと。いまはそのような伝統がすたれて来ていることを残念がっておられました。

児島の八幡社①鴻八幡

日本で一番多い神社はと言えば八幡宮だが、児島も例にもれず多くの八幡宮がある。
鴻八幡宮1
児島下の町の鴻八幡宮はその中でも代表的な神社である。
鴻八幡宮拝殿1
鴻八幡宮は琴浦地区の総氏神で、今から1300年前の大宝元年(701)に宇佐八幡宮から勧請されたとつたえられる。
宇佐八幡宮始め一般に八幡社は三柱の神を祀っているが、ここ鴻八幡は五柱の神を祀っている。
五柱の神とは、誉田別尊(ホンダワケノミコト 応神天皇)、足仲彦尊(タラズナカツヒコノミコト 仲哀天皇)、息長帯姫命(オキナガタラシヒコノミコト 神功皇后)玉依姫命(タマヨリヒメノミコト 神武天皇の母神)、仲姫命(ナカツヒコノミオト 応神天皇の后)の五柱である。
鴻八幡には倉敷市重要文化財指定の狛犬一対(木造)があるが、これには[建武3年(1336)]と書かれた銘があり、後醍醐天皇の皇子宗良親王が讃岐にながされる途中立ち寄られ戦勝祈願をされ、その願いが成就して、帰京の時に奉納されたものと言う。
琴浦地区の祭りとしてはこの鴻八幡宮の秋季例祭が有名で、18基のだんじりが繰り出され、祭囃子はしゃぎりと言い、昭和58年倉敷市の、平成9年には県の重要無形民俗文化財に指定され、その保存に努められている。
以前このブログでも紹介したとおりである。
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Author:kibinokojima
吉備の児島へようこそ!
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