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創作ミュージカル 最後の五匹

創作ミュージカル[最後の五匹]のお誘いを受けて、打ち合わせに行ってきました。
コーラス音部分があって、男声が足りないそうで、お声をかけていただきました。
琴浦東文化センターに行くと、すでに練習が始まって、多くの大人や子供たちが練習に参加していました。
2階で打ち合わせがあるということで行くと、すでに何名かの方が来られていて、以前一緒に歌っていたメンバーと一緒になり、くつろいだ雰囲気で会議が始まりました。
最後の5匹は、由加山の鬼退治の話をモチーフに、過去と現代、吉備の児島の由加山と世界をつなげて、鬼と狐の闘いを通して、平和を成し遂げるという、とても愉快な、また郷土色豊かなストーリーで、みんなで楽しめるミュージカルという感じです。脚本は江戸川乱歩賞を取られた、郷土出身の石井敏弘さんで、児島色をふんだんに取り入れたストーリーはとてもユニークです。
3月20日(日)に児島文化センターで上演とのこと、楽しみです。
肝心のコーラスの方は、女声はしっかり、いろんな合唱団が参加していますが、男声は、参加者が少なく心もとない感じです。まだ募集中ですので、このブログををご覧になったかた、男声のコーラスに参加できそうな方があればぜひ声をかけてみてください。
自分自身も参加して行けるか不安ですが、出来れば出たい舞台です。
一生懸命打ちこんで練習している姿を見ると、とても希望です!
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児島屯倉と白猪屯倉

古事記、日本書紀に[吉備の児島]の記述がある。
そしてこの時代の児島の位置づけをもっとも明確に知ることが出来るのが、[児島屯倉]と「白猪屯倉」の設置にかかわる記述である。
日本書紀によると白猪屯倉は欽明16年(555)7月に、児島屯倉はその翌年に蘇我稲目宿禰らが吉備に直接出向いて設置したとある。
この時代は蘇我氏がその勢力を拡大して行った時代であり、そのことと深いかかわりがあることが推察される。
大和王権の政権掌握にとって重要な位置づけがこの二つの屯倉設置にはあったのである。

この時代半島では、528年に新羅が金官加耶を滅ぼして併合しさらに高句麗、百済と対抗していた時代であり、倭国(日本)では538年に百済から仏教が伝来、崇仏か排仏をめぐって蘇我と物部の争いが起こった(用明2年―587年)時代であり、蘇我馬子が政権掌握を目指して崇峻天皇を暗殺するような時代である。
吉備においては5世紀末に造山古墳などの巨大古墳造られた時代から、大和の王権に従わせられて行く時代ともなって行く。

児島屯倉、白猪屯倉はこのような時代背景の中で一つは半島と西国をにらんだ戦略的位置づけで、もう一つは対岸の吉備に対する戦略的位置づけから設けられたものだと考えることが出来る。

児島屯倉の所在地は明らかにはなっていないが、郡のあたりと推定される。北浦にある[八幡大塚二号墳]は児島では最大級の墳墓であり、児島屯倉の管理に当たった重要人物の墓であると推定されている。

なお、白猪屯倉は吉備でも複数設置されたといわれ、児島屯倉は児島に特有の屯倉である。

小西増太郎・トルストイ・野崎武吉郎 交情の軌跡

山陽学園特任教授の太田健一先生の書いた「小西増太郎・トルストイ・野崎武吉郎―交情の軌跡」と言う本読んでいる。
以前太田先生からも直接うかがったことがあるが、小西増太郎は、かって有名な野球解説者小西徳郎さんのお父さんで、岡山から野崎に奉公に来ていた時に、ロシア正教、ハリスト修道会の宣教師に出会い、その教えに感銘を受け、野崎を飛び出して東京のハリスト修道会の神学校を目指した。この小西増太郎を野崎武吉郎は生涯応援し続けた。
小西増太郎はその後ロシアに渡り、トルストイに出会い、彼の翻訳の手伝いなどを(トルストイは老子に傾注していてその翻訳を手伝ったらしい)して、親交を温め、日本に帰るときにはトルストイから聖書をもらった。
その後日本に帰った小西増太郎は野崎の援助を受けながら、野崎の台湾における塩業の仕事を任されたりしながら、ロシアとの交流を続けた。日本におけるロシア文学の興隆に多大な貢献をした。
野崎武吉郎が、こういう支援をしていたということに、とても驚いた。
野崎家が、単なる事業化ではなく、宗教にも寛容なところ、また文学者としても小西を応援したところに、野崎家の気風を感じる。このような心の寛容さがどこから来ているのか知りたいものである。

児島市民文化祭 ギャラリーコンサートと音楽コンサート

児島市民文化祭に参加して来ました。
かって一緒に歌っていた合唱仲間だったメンバーが参加している「コロポーニョ」の皆さんに誘われて、聞きに行きました。
5日金曜日はギャラリーコンサート、児島文化センター大ホールのロビー、一階から二階にかけての踊り場に絵や工芸の佐k品が展示されていて、そのギャラリーを舞台に、一階のロビーが観客席で、文化センタ-のロビーを上手く使ったコンサートでした。
最初は女声合唱の「コロポーニョ」、今年は青系の衣装でさわやかに[金子みすづ」の世界を歌ってくれました。美しい歌声とハーモニーで、最近めきめきと実力をあげて来ていて、女声合唱らしい心地よさを感じさせてくれる演奏でした。
2010ギャラリーコンサート300

二番目はクラリネットの熱田昭夫さんとピアノの犬飼里余子さんにより大切にしたい日本の歌、日本の抒情歌をクラリネットとピアノ途中からソプラノの歌を交えて、皆で口ずさめる歌もあって楽しい時間でした。
恒例のコーヒータイムを挟んで後半は、おなじみになった六つ森ケイ子と仲間たちと言うことで、今回は琴の六つ森ケイ子さんと[一番大切な仲間]と言うことで尺八の六つ森さん(ご主人)のお二人のコンサートでした。
ケイ子さんの軽妙な語りと、絶妙の「仲間」との掛け合いがとても面白くて、演奏も琴の古典的な音が現代的にアレンジされて、いつも楽しみな舞台です。
あっという間に8時半終了になりました。
ここでニュースがありました。体年の3月に向けて[ミュージカル]をやるそうです。男声の合唱が要るのでと、事務局長の片沼さんから声をかけられました。
由加の鬼退治をテーマにした創作ミュージカルとか、琴浦東文化会館で練習を始めているように聞きました。
まだ参加者募集中と発表されていましたので、関心のある方は問い合わせられたらいかがでしょうか。

音楽コンサートの様子は後ほどアップします。

児島と秦氏 その秘密を探る

児島と秦氏
これまで、その関係性を特に示す、資料に出会ったことは無いが
様々な、資料を見るにつけ、そのつながりを推測せざるを得なくなった。
熊山遺跡が秦氏との密接な関係というか、まさに秦氏が建造したものであり、秦氏の信仰そのものであったことが証明されてきた。
そしてこの地域と児島との結びつき江戸時代盛んになった、金毘羅宮と由加宮の両参り、さらに江戸末期には西大寺観音院の牛頭大権現の信仰の結びつき。時あたかも西大寺観音院の牛頭所殿の落慶法要が行われているが、金毘羅、由加山、西大寺、そして熊山のつながりの中に、まさに秦氏の秘密が隠されているように思う。
由加山が稲荷として奉られていること、児島の鎮守が八幡宮であること、これらは児島が密接な関係を持っていたことの事実を証明するものである。
児島の地で多く信仰されている真言宗は、弘法大師空海によってもたらされたが、空海と秦氏の密接な関係は、すでに明らかになているところであり。空海が密教とともに「景教」(ネストリウス派のキリスト教)を日本にもたらしたことは証明済みであり、高野山の教理と儀式に景教の教えと儀式が含まれていることは、すでに多くの人が証明されている事実である。
それらの処をこれから解き明かされればと思う。
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Author:kibinokojima
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