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与謝野晶子が味野女学校で講演していた

岡山人物銘々伝を語る会という会がある。
郷土岡山に縁の人物伝を語る会で、毎月第3金曜日に県立図書館で例会を開いている。
今回21日は、表町で呉服商を営む黒田輝一さんの話で、「与謝野晶子」がテーマであった。
与謝野晶子が夫の与謝野鉄幹とともに講演旅行に来たことがあるという。
昭和8年の頃か
県内各地を訪ねているが、その中で、味野女学校での講演があったそうである。
筆者の母校は児島高校だが、その前身が味野女学校であった。
なんとなく懐かしくて、

与謝野鉄幹と晶子が児島に来たというのは聞いたことがあったような気もするが、味野女学校で講演をしたというのは初めて聞いたような気がする。
このころ人気作家、歌人であった与謝野晶子だったので、女学校の誰かが呼んだのであろう。津山の女学校でも講演をしている。
その頃女学生だったと言えば今80歳くらいになっているか
どなたか、その頃与謝野晶子の話を聞いたという方があれば、その時の様子を聞かせてもらいたいものである。

与謝野晶子といえば、日露戦争の頃、「君死にたもうことなかれ」という歌を書いて問題になった。
そのころとしては男女の愛をダイレクトに表現した女流歌人として有名になった。

今その孫が政治家になって話題になっているようだが。
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鴨神社

荘内の鴨神社に行ってきました。
kamojinnja

由緒を見ると、

延喜初年の創建。延喜式神名帳にのる児島郡内最古の神社。
平安期初頭に大和国葛上郡加茂に御鎮座する高加茂神社の神を勧請し創建されたものといわれる。
鎌倉中期御堀河天皇の貞永2年(1233)、宇佐八幡宮を勧請し合祀した。
以降八幡宮と称したが明治2年、旧号の鴨神社にもどし、郷社に列した。明治40年1月、神饌幣帛料供進神社に指定された。

とある。
祭神は
味鋤高彦根命(アジスキタカヒコネノ ミコト)、仲哀天皇(チュウアイ テンノウ)、神功皇后(ジングウ コウゴウ)、
応神天皇(オウジン テンノウ) 
味鋤高彦根命(アジスキタカヒコネノ ミコト)とは大国主命のことである。この地域はかって加茂郷と言われた。
平安初期、この地域が賀茂氏の荘園だった(備前賀茂氏)ことがうかがわれる。この時代加茂郷とは、荘内地区から宇野、玉、日比を含めた地域を言っていた。
荘内地区を流れる川が鴨川で、現在は倉敷市に所属する白尾もかっては荘内地区の一部だった。
このように由緒のある鴨神社だが、現在は玉日比神社の宮司が兼務していると聞いた。

あけましておめでとうございます

2011 平成23年辛卯の年を迎えました。
今年もよろしくお願いいたします。

世相は困難なことが多いですが、必ず希望の年にするべく困難を克服していく覚悟です。
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