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伝統の根幹は宗教

未来を考える時、何が残るのかを考える。
それではこれまで、残ってきたのは何か?
自然と、文化
そして文化の根幹は宗教と切っても切り離せない。
そう考えると、何といっても児島の中心は由加山系にあるのではと考える。由加山は弥生時代の磐座信仰からはじまったといわれるが、平城京、聖武天皇が児島を熊野社に寄進したとある。この前、役小角の弟子たちが、[福岡」(現在の林)にたどりついて「新熊野社」を興した。その時、熊野三社の「那智宮」に相当するのが由加宮であった。
その後、行基が児島の地に来たりて、千手観音を奉ったのが「瑜伽山」の始まりという。その間「児島」は大半が熊野社の神領であった。
中世になると、各地の神社や寺の荘園は武士に横領をされるようになるが、児島も例にもれず、熊野神社の所領を横領したのが三浦一族の上野氏、常山城主であった。有名な女軍の闘いをした「鶴姫」野伝説の地である。
その後、常山の迫川庄は、毛利氏によって熊野神社のの所領として回復するが、その後の騒乱を経て、最終的に児島は池田家の所領になり、池田氏は瑜伽山及び熊野社を保護して、由加は金毘羅山との両参りとして栄えた。金毘羅も由加も権現信仰だった。神仏習合の信仰であった。
明治になって「神仏分離令」が出され、由加も熊野神社も壊滅的な打撃を受けるようになる。
いまもその傷跡が残っている。
しかし、いまでも児島の中心は熊野神社から由加山に続く山系であると思う。有史以来児島に住む人々の心の中心地は、この辺りである。これをどう未来につなげていくか?
いまの時代生きる我々の使命があるのではと考える。
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