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児島の未来3 児島は一つ

児島は一つ
かって吉備の子島と呼ばれた、児島半島
明治から大正、昭和の初期までは、児島郡として一体的行政の枠の中にあった。
明治11年(1878年)郡区町村編制法施行時の児島郡91村が、合併を繰り返し、昭和15年玉野市、昭和23年児島市の誕生とその後の合併の進行により、最終的に児島郡灘崎町が岡山市と合併することにより、児島郡は消滅し、児島は玉野市と岡山市、倉敷市の一部となり、行政的に見るかぎり[児島]は分断され一体化は完全と言って良いほど失われてしまった。
かっての吉備の穴海を取り戻すことも、[児島]を一つの行政区画として取り戻すことも不可能に近いのかもしれないが、児島の未来を考える時に、夢でも良いから[一つの児島]を実現したい。
かって、そしていまでも由加山系は、児島の精神風土の故郷である。弥生時代の磐座信仰に始まり、今に至るまで児島の地域の人々は由加に参詣した。そして全国から人々が集まってきた。
いまは道路が発達して、児島のほとんどの地から、30分圏内で由加に至ることが出来る。ここに行政、文化、教育の林間都市を作り上げていけばどうだろうか。
心の、そして精神的、文化的な、教育的施設、音楽ホールなど配置して人々の心の安らぎの地として行く。精神的修養の地として行く。
かっては、熊野神社の所領地として精神的風土の高い地であった[児島]を再び復興していければと思う。また海岸に下れば、自然の渚と瀬戸の内海を拠点に海洋レジャーやスポーツの拠点が配置され、[児島]は心身ともに安らぎと喜びを創出する希望の地となる。
そのためにも、全児島が一つになる行政的、あるいは組織的繋がりの絆が求められる。
今や[児島]は、児島湾や児島半島、そして児島地区に残る地名に付けた「児島」と駅名しか残っていない。
未来の[児島]をもう一度創っていく。
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