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熊野神社訪問

吉備歴史探訪会で、仲間と一緒に熊野神社を訪れた。12社権現を参拝の後、五流尊流院に属する、3重の塔や
後鳥羽上皇の供養塔、桜井宮の塚、五流尊流院と児島高徳誕生の碑、最後は頼仁親王の稜を訪ねて解散した。
夕刻、熊野神社の宮司さんを訪ねた。貴重な話をうかがうことが出来た。
現在の宮司さんは、長床が消失して、その後こちらに赴任されたとのこと、[最近来たばかりなので]と言われながら、結構詳しい話をうかがうことが出来た。
①焼失した長床から、岩が出て来て、その岩から、方位が計算されて建てられているらしい。
②備前の福岡(現瀬戸内市)は、ここ林の福岡神社から勧請されて行ったらしい。(福岡神社は現在12社権現が祀られている裏山に祀られている)
③神社の地下の土壌は焼き物に適した土が出て、かって、この地が焼き物の産地だったらしい。
と、これまで聞いたことのない事実をお聞きすることが出来た。
熊野神社のある林の地がかっては、[福岡]と呼ばれていたことから、何らかの関連があると思っていたが、さらにこの点を確かめたくなった。

児島と邑久の関係
児島高徳が、邑久の豪族和田氏に婿入りしたと、五流尊流院の縁起にあるが、児島と邑久は密接な関係が古くからあったことを物語っている。このあたりをさらに詳しく知りたい。

それにしても、佐藤宮司さん、いろいろと進取の気持ちをお持ちで、共鳴しました。
児島の歴史を形作ってきた、熊野神社の再興が、未来の児島を作る鍵のようにも思えてきました。
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No title

こんばんは。

林の地は、「福岡」と呼ばれていたとのことですが、徐福との関連でもあるのでしょうか?福岡の地名由来がわかればお教えください。

No title

酔石亭主様
返事が遅れました。
[除福]との関連ですが、まだ良いく解かりません。ただし、「熊野社(紀州)自体が、「除福」の一族が建てたとの言い伝えもあるようですので、何らかの関係があるとも言えるでしょう。
児島に最初にたどりついた5人の役行者の高弟たちも、それらに縁の人々だった可能性もあります。
現熊野神社(児島林)の宮司さんも研究中のようですので、またお話が聞けたらブログでアップさせてもらいます。

No title

少し調べてみたところ、倉敷市浅原の安養寺には徐福伝説が残されていました。浅原は朝原郷ですが、「続日本紀」には、「宝亀7年(776年)2月25日条に、山背国葛野郡人秦忌寸造等97人に朝原忌寸が賜姓された」との記載があり、朝原郷は秦氏系列の地名と考えられることから、安養寺の徐福伝説もやはり秦氏が持ち込んだものと思われます。またご存知のように高梁川に沿って秦の地名が見られます。
以上から、林にある福岡の地名は、徐福の長男福永が改名した福岡にちなむものと思われます。なお林氏も秦氏から派生したと推定できる名前です。詳しく見ていけばもっと面白くなりそうに思えます。

Re: No title

酔石亭主様
とてもいい情報を有難うございます。
浅原が除福伝説の地とは初めて知りました。
安養寺というと岡山市日近の安養寺が栄西禅師得度の寺と言われますが、この浅原の安養寺という説もあるところですね。
林の福岡の地名の由来が徐福の長男福永が改名した福岡にちなむもの
というのも初めて聞きました。
そうとすると、福岡の地名の由来、林に熊野の弟子たちがやってきて定着した話、そのあたりがつながってきますね。
先日赤穂の坂越に行って、秦氏と、児島のただならぬ因縁があるのではと思っていましたが、林姓も秦氏系と言われると何かしら深い糸が繋がっているのを感じます。
秦氏を中心とした歴史の流れと、児島の歴史、今私のテーマですので、酔石亭主さんの情報とてもヒントになります。
ありがとうございます。
このヒントを参考に私ももう少し調べていってみようと思います。

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