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瀬戸内海は文化揺籃の海

東西交通の要衝であり、日本海と太平洋を結ぶ交通の要衝でもある吉備の児島
古代、日本列島に人々が住み着き営々と生活を重ねてきた児島の地
いつのころからかこの列島に人々が渡ってきて住みつくようになって、さらに多くの人々がこの列島にやってきた。その多くが半島から、南方から、北方から入ってきた人々もあったであろう。
とりわけ縄文時代から弥生時代にかけて極めて多くの人々がこの列島にやってきたが、それらの人々によって弥生文化が開かれた。
弥生時代の文化は出雲や九州、大和の方面でも開かれたが、特に瀬戸内海を取り巻く地域でその発達が著しい。その中心地が吉備であり。東西交通の要衝となった吉備の児島である。

かって吉備の王国は瀬戸内海の制海権を持ち、東は播磨から西は豊国(今の大分)まで、日本列島最大の王権を持っていたと言われている。吉備は銅や鉄の産地であり、陶器の製作や土木技術にも優れ極めて豊かな文化を作り上げていた。
その文化をもたらした中心的な集団が秦氏であった。秦氏は金属の加工技術や土木技術、機織や陶器の製造技術にも優れていた。それとともに宗教的にも優れていて、日本の数多くの神社や宗教の開祖がそこから生まれてきている。

最近吉備王国は秦氏の持つ技術や宗教性をバックにできた王国であり、魏志倭人伝に言われる卑弥呼の邪馬台国も吉備の王国であり、卑弥呼とは当にその王国の首長であったことが証明されるつある。
吉備の児島は当に吉備の大王国の入り口であり、門であり中継の橋でもあった。瀬戸内海を隔てた讃岐もまた、秦氏の王国の一部であった。
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