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ブログ更新を怠っていました

最近更新を怠っていました。
その間、訪問してくれた皆さんにお礼申し上げます。
「吉備の児島」で検索すると結構トップに出てくる当ブログ
皆様のおかげです!

あらためてブログを大切にして行こうとPCに向かっています。
筆者のもう一つのブログ「吉備楽土」にも書いたのですが、吉備の国岡山歴史講座を始めることになりました。

日本史における「吉備」の位置づけは一般に思われている以上に重要な役割を果たしています。その中でも「吉備の児島」は特別重要な役割を果たしてきた歴史があります。
日本の古代国家形成の揺籃は瀬戸内海が担ってきています。
もちろん、日本海沿いの「出雲」や、その他の日本海沿いの地域もその役割がありましたが、なんと言っても、瀬戸内海文化圏が、「日本」という国家形成にもっとも大きな役割を果たしてきています。
その瀬戸内海のもっとも中央に位置したのが「吉備の児島」です。
「吉備」と対岸の「讃岐」を含めた地域が、弥生後期から古墳時代にかけての日本列島における文化の中心地域であったことが証明されつつあります。

卑弥呼の邪馬台国論争も、「機内」か「九州」かと争っていますが、こんな争いは現代のこと、魏志倭人伝時代のこの列島の列島の中心地は「吉備」ではないのかと言うのです。

今は倉敷市のとして団地の近くにある「楯築遺跡」は有名ですが、ここは前方後円墳の原型だといわれています。
岡山大学教授として日本の考古学史に歴史的な業績を残した近藤義郎先生は、この楯築遺跡を発掘されて、日本固有の墳墓形態である前方後円墳が吉備から始まったことを示唆されています。
5世紀はじめに築造されたといわれる造山古墳は、当時としては列島最大の古墳であったといわれます。造山古墳は実在が確認される最古の天皇といわれる「応神天皇」の時代に一致します。それは応神天皇の時代に日本列島の最も中心になった地が「吉備」であったということではないでしょうか。
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