スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

平家と宇佐八幡

源氏と平家
武家社会が成立する時代に・・先駆けてその勢力を拡大したのが「平家」そののち平家と戦い、滅ぼしたのち日本に武家社会をもたらした源氏・・

児島には八幡社が多く、源氏とのつながりを示唆されるが、藤戸の瀬を挟んでなぜ平家は児島に陣を構えたのか?平家と児島のかかわりの歴史は?と考える。

先日、ある知人に郷里の歴史を聞いたら、村に「八幡様」があると言う。「それだったら源氏ですか?」と聞いたら、「うちは平家の落武者かもしれない」といわれる。少し不思議に思って宇佐八幡と平家のかかわりを探ってみると、平家と宇佐八幡の重要な関係があったことが分かってきた。
以下続きを見てほしい。
清和源氏の氏神が八幡社であることは良く知られているが、平家との関係も・・

高倉天皇の時、平清盛がその娘の清子を宇佐八幡宮の大宮司の宇佐公通のもとに正室として嫁がせた。平清盛は日宋貿易もにらみ、西国に影響力の大きかった宇佐八幡と結びたかったのであろう。

さて、安徳天皇が九州に逃れた時、宇佐八幡に行宮し、神託を持ったが
世の中のうさには神もなきものをなに祈るらんこころづくしに
とのご神託に失意の中宇佐を離れたとある。

源氏だけでなう、平家も「八幡宮」への篤い信仰を持っていたことが伺われる。

武士とは何か?八幡とのつながりの歴史は・・・?
没落する秦氏と侍の登場に少し関連する内容を書いた。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

No title

名称 大崎八幡宮 (オオサキハチマングウ)

平清盛の父・忠盛が備前国司の時、平家水軍の守神であった市岐島姫を祀る。

所在地 〒706-0224 岡山県玉野市八浜町大崎

昔は、ここの北が海で鳥居が海中にあった。厳島神社のぜんしんではないかといわれる。

No title

貴重な情報ありがとうございます。
平忠盛が備前国司だったのですね。
大崎八幡が厳島神社の前進・・
そう言えばこのころ西国博多津にいて宋へわたる準備をしていた栄西禅師、平家の庇護を受けながら渡宋の資金を作ったということを思い出しました。
宋から帰っては鎌倉に赴き源氏の庇護を受けるようになるのですが・・
この時代は平家から源氏に主導権が代わって行く時代、吉備の児島も翻弄された時代ですね。
プロフィール

kibinokojima

Author:kibinokojima
吉備の児島へようこそ!
古代から歴史に輝く吉備の児島
きらめき輝く瀬戸の海のごとく
新時代に輝く
吉備の児島を目指すブログです

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ランキング
こちらをクリックお願いします
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。