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県立図書館に広重の「備前田ノ口」が新資料として

県立図書館に行ったら、入り口のところに見慣れた情景の絵が

県立図書館では、この度、『光をそそぐ交付金』により,以下の貴重資料を受け入れましたので報告します
とある。
田の口の鳥居の書かれた広重の浮世絵

早速お願いして見せてもらった。

広重田ノ口あ


県立図書館の案内には以下のごとく紹介されていた。

(3)浮世絵①
   『山海見立相撲 備前田ノ口』  歌川広重  版元:山田屋  発行:安政5年(1858)8月
   サイズ:  24.4cm×36.4cm 請求記号:KM312/6  資料番号:0010703478
  【資料解説】
  歌川広重(安藤広重)は、寛政9年(1797)に幕府定火消同心である安藤源右衛門の子として江戸に生まれる。
 文化6年(1809)にあいついで母と父を亡くし、若くして家督と家職を相続するが、同8年(1811)ごろ浮世絵師を志し歌川豊広に入門。その後、広重の画号を許される。天保4年(1833)からの保永堂版「東海道五拾三次之内」シリーズが大評判となり、浮世絵風景画の分野において葛飾北斎と並び称されるようになる。著名な作品に「木曽
街道六拾九次之内」、「名所江戸百景」、「六十余州名所図会」などのシリーズがある。
 「山海見立相撲」シリーズは広重の最晩年、安政5年(1858)の作品である。日本全国から10ヶ国の山と海の風景を一つずつ組み合わせた計20枚が残っており(1)、岡山県分では備前国の「備前偸賀山」と「田ノ口」がそれぞれ山と海の風景に選ばれている。画面右上には、行司が使う軍配をデザインしたタイトルを配置している。
 画面右下の岩場の上には鳥居が立っている。現在残っている鳥居には「再建」と刻まれているが、建立や再建の年月日はどこにも刻まれていない。地元の古老の話では、鳥居は前から海の中に立っていたが、明治維新のとき同じ場所に前より大きい鳥居を作ったと言う(2)。広重は「六十余州名所図会」シリーズでも「備前 田の口海浜瑜賀山鳥居」を取りあげ、アップで描いている。よほど気に入ったモチーフであったのだろうか。
 画面中央の小島は、鳥居との位置関係から田の口港の沖にある竪場島(たてばじま)、もしくは釜島(かましま)の可能性が考えられる。

版元 山田屋 と言うのも何か縁を感じて、びっくりでした。
これと一緒に入ったのが「備前龍ノ口」で、これも見せてもらいました。

ついでに、瑜伽山の案内図、これは以前からあるもので、出版物などでも紹介されている

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No title

最初びっくりしました。浮世絵ですので、広重風にデフォルメされているのでリアルな現実とは違っているが、田の口の風情が感じられる。
江戸期、両参りで栄えた讃岐の金比羅山と児島の由加山、田ノ口の港は両参りの参拝客で栄えた。児島の機業の興りは由加山詣での客に真田紐を作って販売したところから始まると言われる。
今も田の口港にある鳥居に、当時の風情をしのぶことができる。
貴重な絵が県立図書館に入ったことに拍手!
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