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西大寺会陽

2月20日は西大寺の会陽
500周年
知人のジャーナリストと西大寺に行きました。
昨年も行ったが、今年は、2時間早くなって、少し戸惑った。
午後4時ころ、「少年はだか祭」が
小学、1~2年は「たから餅」、 3~4年は8本の「五福筒」、5~6年生は[宝筒」を争奪戦
水垢離場で体を清めた少年たちが
元気よく掛け声をかけて行進し、一斉に[宝]を求めて争うさまは、庄ら大きくなったら本物の裸で会陽に参加するようになるんだなと期待する。
本番まで時間があったので、近隣を散策、
映画[三丁目の夕日]の撮影があった町並みや、昔高瀬舟が接岸したという、岸などを見て回った。



西大寺は、今から1300年ほど前、天平勝宝3年(751)、周防の国玖珂の媛、藤原(秦)の皆足媛が観音様(千手観音)を都の長谷寺に納めようと旅の途中、備前の金岡(現在の観音院の地)港に到着、再び出港しようとすると船が動かない、これは何かのお告げと、庵をむすんで観音像を安置したのが始まり。
宝亀8年(777)、安隆上人(あんりゅうしょうにん)が大和の長谷寺で修行三昧されていたとき”備前金岡庄の観音堂を修築せよ”と夢にお告げがあり、金岡に来る途中、児島の沖で龍神に会い、犀の角を授けられて、金岡に到着、堂宇を整備[犀戴寺」と名付けたのが始まりとか。

少年はだか祭りを待つ観音院本堂前

その後、後鳥羽上皇が承久の変のとき西国の社寺に戦勝祈願の祈願文に西大寺と書かれたので、その後[西大寺]と書くようになったそうである。

西大寺縁起に出てくる[皆足姫]が秦氏?というのは、昨年500回目の会陽を記念して、岡山市のデジタルミュージアムで寺宝展が開かれたおり、秦皆足姫と表記されているのを見て、教えられた。
「秦氏」については、法然上人とのかかわりでも「秦氏」が出てきているので、興味が尽きない。

午後7時花火大会が始まると一気に盛り上がる。
本堂前には続々と裸が結集!威勢のいい掛け声が響く。会社などのグループが、それぞれ横幕をもったりして行進してくる。


午後10時の[宝木](しんぎ)投下の前になると、激しいもみ合いと裸衆の雄たけびが「ウォー」と激しさを増し、強烈な印象、まさに[天下の奇祭]である。

そもそも会陽は西大寺開基の安隆上人(あんりゅうしょうにん)が東大寺で行われていた、修正会(しゅじょうえ)、正月元旦から14日間、祈祷をささげ、これが厳修されていた。
今から500年前、永正7年(1510)忠阿(ちゅうあ)上人の時、修正会の結願の日参詣の信者に守護札を出したところ、これを戴く者は福が得られると希望者が続出し、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合いとなり、身体の自由を得るために裸となり、無垢の信仰心は水垢離となり、遂に修正会と不離一体の今日の会陽の形が成り立ったと伝えられている。


今でも修正会は厳格に行われ、それが観音院の伝統であり、特に[宝木](しんぎ)の作成には精誠と祈りがささげられている。
単なる民間信仰でなく、民の平安を願う祈祷の精誠が厚く捧げられているのが、500年間、会陽が続けられて来た伝統であると思う。


備前岡山の地がこれまでよき伝統に守られ、政治も文化も経済も発展してきた所以は、この西大寺観音院の伝統であるかなと思う。
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