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常山城と鶴姫

今日は常山城と鶴姫の話をした。
常山城の女軍の話は有名である。
常山城主上野隆徳の妻、鶴姫は、備中松山城主の三村元親の妹であった。三村氏は毛利の一党であったが、織田と結び毛利に対抗するようになった。毛利は宇喜多と結び、松山城を攻めこれを滅ぼした。そして一族であった、児島の常山城を攻撃にかかった。上野隆徳は四国の三好氏に人質を差し出し援軍を頼むが、何の答もなかった。常山城にたてこもって戦うが、多勢に無勢、もはやこれまでと、隆徳の義母から自害し、さらに次男を刺し、隆徳と嫡男も互いに自害して果てようとしていた、この時、鶴姫は「女といえども武家の娘、敵の一人も倒さずして果てることはできない」と、三村家家伝の名刀を携え、長刀を持って打って出た。最初は止めようとした、侍女たちも共に姫に従い打って出た。これに意を強くした将兵も戦いに出たが、打たれるばかりであった。最後に鶴姫は敵将に一騎打ちを望むが、「女と戦うことはできない」と言われ、鶴姫は家伝の名刀を差し出して、これを差し出すので菩提を弔ってほしいと言い残し、城に帰り、口に刀をはらみうつ伏せて自害して果てた。
その後常山城は、宇喜多氏が支配するようになり、池田藩の時代になると、廃城になって明治を迎える。
大正期になると、常山の開発の話が持ち上がり、大正12年に、女軍の墓などが作られ、公園として整備されたが、2次大戦中は、無線中継基地が作られ、入山禁止になった時代を経て、今に至る。
すれ違いの難しい、悪路だが、山上に行く道もあり、地元の学校では遠足に行ったりするそうである。
秀天橋から見た常山

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