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児島高徳

吉備楽土http://kibinokojima.blogspot.com/に児島高徳の墓訪問http://kibinokojima.blogspot.com/2010/06/blog-post_4155.html記を載せました。
児島高徳と言えば、南北朝期の忠臣として名高いが、最近はその名前も知らない人が増えている。
太平記に詳しくその歩みが記されているが、その他の記録には名前を見ることができないので、一時は実在しなかったのではないかとの説もあったそうであるが、今はそのような説は消えていいる。その代わりと言っては何だが、地元岡山県、わが郷土児島でも知らない若者が多くなっている。ここで少し児島高徳についてまとめてみたいと思う。
 
鎌倉末期、元弘2年(1332年)後醍醐天皇を中心に幕府打倒の動きの中、元弘の変により隠岐に流されることになった後醍醐天皇を船坂峠で奪おうと決起した児島高徳は、それを果たせず、院庄の館にある桜の幹に十字の詩を刻んで忠孝の志を伝えたことは良く知られていることである。
元弘三年(1333年)隠岐を脱出した後醍醐天皇が伯耆の船上山で挙兵、ここに高徳も加わった。建武の新政が始まったが、足利尊氏が離反、尊氏に通じた反乱に抗するために戦いを続けるが、三石城を奪われ、その後も苦戦を強いられ、再起を図るり転派戦を続けるが、最後は上野で亡くなったとも、児島で亡くなったとも伝えられる。
ここ坂越には高徳の義父和田備後範長の城があり、熊山の戦いの後、傷をいやすために妙見寺で療養したと、記されている。
児島高徳の墓


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