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山崎多喜男さんの児島半島史話

以前にも書いたが、白尾出身の山崎多喜男さんが昭和50年に書いて出版した「児島半島史話」
改めて読み直してみると実に面白い!
歴史の本と言いながら、最初に出てくるのがUFOや霊界の話。スウェーデンボルグや霊界写真の話など、現実を超越したような話から始まる。日本の古代史も、古事記はお伽話と言いながら、古文書に基づくような古代歴史を展開する。
実に痛快と言うか、常人には考えられないような論を展開している。
このような本を書いて出版するような人が児島にいたことが驚きである。
当ブログの筆者も白尾の出身で、しかも山崎さんとは縁つながりのある家系の出身。
いやはや驚きである。
三井造船退職後歴史の研究に没頭され、常山城の歴史なども研究され本を出版されている。山崎さんはすでに他界されていて息子さんが家業を引き継いでおられる、先日お会いしたが、とても温厚な方で父親の多喜男さんの人柄がしのばれる。お会いしたのはお兄さんのほうで弟さんが歴史にはさらに詳しいとのこと。
それにしても、その後の児島の歴史はさらに詳しくまとめられている。児島半島全体の歴史は、山崎さんもこの本の中で述べておられるが、かって「児島郡誌」が大正期にまとめられているが、今となっては余りにも古い書物になってしまっている。今では山崎さんの書いた「児島半島史話」もかなり古い本位なってしまっている。筆者も玉野の市立図書館で見つけてようやく借りることができた貴重な本である。
その後誰か「吉備の児島」全体の歴史や文化についてまとめた本を書く人があらわれないものか!

瀬戸内海は文化揺籃の海

東西交通の要衝であり、日本海と太平洋を結ぶ交通の要衝でもある吉備の児島
古代、日本列島に人々が住み着き営々と生活を重ねてきた児島の地
いつのころからかこの列島に人々が渡ってきて住みつくようになって、さらに多くの人々がこの列島にやってきた。その多くが半島から、南方から、北方から入ってきた人々もあったであろう。
とりわけ縄文時代から弥生時代にかけて極めて多くの人々がこの列島にやってきたが、それらの人々によって弥生文化が開かれた。
弥生時代の文化は出雲や九州、大和の方面でも開かれたが、特に瀬戸内海を取り巻く地域でその発達が著しい。その中心地が吉備であり。東西交通の要衝となった吉備の児島である。

かって吉備の王国は瀬戸内海の制海権を持ち、東は播磨から西は豊国(今の大分)まで、日本列島最大の王権を持っていたと言われている。吉備は銅や鉄の産地であり、陶器の製作や土木技術にも優れ極めて豊かな文化を作り上げていた。
その文化をもたらした中心的な集団が秦氏であった。秦氏は金属の加工技術や土木技術、機織や陶器の製造技術にも優れていた。それとともに宗教的にも優れていて、日本の数多くの神社や宗教の開祖がそこから生まれてきている。

最近吉備王国は秦氏の持つ技術や宗教性をバックにできた王国であり、魏志倭人伝に言われる卑弥呼の邪馬台国も吉備の王国であり、卑弥呼とは当にその王国の首長であったことが証明されるつある。
吉備の児島は当に吉備の大王国の入り口であり、門であり中継の橋でもあった。瀬戸内海を隔てた讃岐もまた、秦氏の王国の一部であった。

児島と熊野神社

久方ぶりに熊野神社を訪れて、宮司さんと話す機会を与えられた。児島の歴史と文化は熊野社を抜いては語れない。
今、奈良では平城京1300年が祝われているが、児島の熊野神社の歴史も同様の歴史を持つ。
その経緯などについては以前このブログでも書いたが、改めてその歴史の重さを感じる。
明治の神仏分離から約140年が経っているが、これは長い歴史からみればほんのひと時のようなものかもしれない。
今なお神仏分離の弊害が色濃く残ってはいるが、早くこの分離の歴史は終わらせなければならない。というか、いずれ本来の神仏習合の姿へと帰って行く、経過的な時何のかもしれない。

今の世相を考える時、宗教一致が一番の課題であると思う。宗教同士が争っている時ではない。一宗一派にとらわれて宗教本来の役割を忘れているのが、今の日本の現状である。

児島の歴史からみると欠くことのできない歴史をつづってきた熊野神社が、今は旧児島の地域全体からみれば、忘れられてしまったような現状になっている。

最近、古い時代、この地に神社の立つ前の時代と思われる陶器片が見つかったと言われていた。
児島に熊野社が出来る以前からの、[福岡」(当時は福岡と言われていた)の歴史を知ることで、児島の歴史的位置づけが見えてくるかもしれない。

カンブリア宮殿に両備の小嶋社長登場 津田永忠に学ぶ

テレビ東京の[カンブリア宮殿」に両備ホールディングスの小嶋社長が登場
[津田永忠」に学んだ経営思想を披歴した。
各地の赤字交通機関を買い取り再生した手腕が全国から注目!
彼をしてそうならしめてた、思想的背景に「備前岡山藩」の忠臣[津田永忠]を挙げた。
[百姓たちに希望を与えなければ」と藩主光政に進言、自ら大阪商人から大金を借りて始めた干拓事業、それが民も版も豊かにしていった。
永忠に儒学を教えた師は熊沢蕃山であった。その手法において熊沢と、永忠は衝突したが、民を思いやる心はしっかり受け継いだ。
確かに、両備の、地域に奉仕する経営思想は、すべての経済人が学ぶべき精神であり、政治家も学ぶべきであろう。
岡山は優秀、有能な経済人が多い。精神文化の風土がそうしているのであろう。
児島も、野崎武左衛門を産んだ地である。
精神性と文化を重んじるところが再生と発展を遂げる。

和気と吉備寺に行ってきました

和気神社に行ってきました。藤が満開で「藤まつり」まっ最中でした。
下は和気清麻呂の銅像

和気神社藤まつり

和気清麻呂像


http://kibinokojima.blogspot.com/2010/05/100.html
こちらは吉備寺です。備中出身の偉人吉備真備ゆかりの寺、旧真備町にあります。

吉備寺

こちらは吉備真備の像 矢掛町にある吉備真備公園にあります
http://kibinokojima.blogspot.com/2010/05/blog-post_13.html
吉備真備像
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